宝石のお話で、おもしろい記事(↓)を読ませていただき、私もちょっと宝石のこと勉強してみようかなーと思って・・・。
こんな本を買ってみました。
とても興味深いことが書いてありました。
日本人の特異な装飾品の歴史
読み始めてすぐ、とても驚いたのは日本の装飾品の歴史です。
日本の歴史の中では、ネックレスを身につけない時代が、非常に長くあったそうです。
日本の古墳時代の出土品をみると、ネックレスその他の装飾品をじゃらじゃらつけているんです。
推し埴輪の腰かける巫女 pic.twitter.com/gk1scbeWqs
— apricozz (@apricozz) 2018年8月4日
こちらは6世紀のもので「腰かける巫女」と名付けられています。
彼女が身につけているのは、ネックレスを2本、イヤリング、ブレスレット、腰にはブローチを2個、左右の足にアンクレットまで。かなりのおしゃれさんですね。
縄文、弥生、古墳時代の日本人は、装飾品を体に飾っていたんです。実際、勾玉その他の装飾品が多数見つかっています。6世紀くらいまで、日本にも豊かなアクセサリー文化があったのです。
参考ページ ↓
ちなみに時代区分は下記のよう ↓
★縄文時代 紀元前1400年ごろ~紀元前4世紀
★弥生時代 紀元前4/紀元前10世紀~3世紀中ごろ
★古墳時代 3世紀中ごろ~7世紀ごろ
これは土偶 ▲
埴輪はこれ ▼
◆ 埴輪は古墳時代のもの 土偶は縄文時代のもの なんですって
ところが、飛鳥時代くらいから明治の文明開化に至るまで、日本のファッション史からネックレス、イヤリング、ブレスレット等々の装飾品が姿を消してしまいます。
宝石や貴金属で身を飾ることをしない時代がこれほど長く続いた国は世界に類をみないのだそうです。
江戸時代になると、かんざしを髪に飾ったりしていますが、平安時代なんて髪の毛を飾るものさえありません。長い長い髪の毛をしばることさえしていませんよね。
『源氏物語絵巻』より ▲
もちろんのこと、帯留めに宝石を飾ることもありません。
そもそも帯がありませんから。
着物そのものでおしゃれを楽しむ文化が花開いたのは平安時代。
十二単って、上にいくほど短く小さくなって、下の生地を見せて重ね着の美しさを楽しむファッション。そこでは、布地の美しさを競ったりはしますが、装飾品はありません。
車に乗っている美女が、着物の端をわざと車から出して見せて、重ね着した美しい布地の色合いを自慢したりする場面は良く出てきます。重ね着の着物の美しさってこんなふう ↓
工芸品技術はアクセサリー以外のもので発達
日本の工芸品の発達は、アクセサリーの分野ではありませんでした。
けれども、家具や武具などの分野で、独自の高いレベルの工芸品が作られていきました。
アクセサリーとしては、櫛やかんざしなどに、わずかに工芸品の技術が生かされたようです。櫛も最初は髪をくしけずる実用的なものでしたが、しだいに装飾品として使用されるようになっていったようです。
金属技法に関しては、かなり高い技術を有していたようです。
西洋からジュエリーの文化が入ってきたときに、日本の技術が、あっというまに世界レベルに追いつき、世界でも高いレベルにまで達したのは、こうした下地があったためと考えられています。
騎馬民族はアクセサリーを財産として保有し身につける
世界的に言えることですが、
・農耕民族は財産を家や調度品などにつぎこむため、アクセサリー文化が発達しない
という傾向があるとのこと。
騎馬民族は移動に適しているように財産を宝飾品に代えるためアクセサリー文化が豊か。一方農耕民族は移動を前提とせず、土地や家にお金をかけるため、アクセサリー文化はあまり発展しない傾向がある。
— 民族衣装bot (@iggqofueme087) 2015年2月28日
弥生時代から農耕民族となった日本人が、アクセサリー文化を捨てたということなのでしょうか?
タイはルビーの産地
ところで、最近、私にとって縁の深いタイはルビーの産地。
世界市場の8割を占めているんですって!
早く本場のルビーをこの目で見たい!
ルビーって加熱処理して赤の色をきれいに見せているものがほとんどなんだとか・・・。こちらも調べるとおもしろそうです。
今年12月、タイに行く前に、jojojoさんにルビーの原価を教えていただけたらありがたいなあと思っています。