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寝たきりにしてしまう日本の病院を憂う

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昨日公開された石田さんの無料動画。

私もさっそく見ました。

 

衰退する日本を心配する声から始まっていました。

 介護についても、超高齢化社会への懸念について語られていました。

 

自分に向けられた言葉のように聞き入ってしまいました。

 

「介護で外出できない人でも、

ネットを使って収益をあげられている人がいるんですね。」

と言われていました。

 

他に良い方法がみつからない今、

私もがんばるしかない!

 

 

父の介護の現状は?

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父は今、自力で体がほとんど動きません。

体全体に力が入ってしまって、とても疲れるようです。

 

でも、力の抜き方がわからないようなのです。

 

腕や指が拘縮(曲がってかたくなっている)してしまい、

伸ばそうにも「痛い、痛い。」と言って抵抗されてしまいます。

 

入院中おしっこが出なくなり、

尿道カテーテルが入って、おしっこをためるバッグをつけています。

 

何かの折に、この管をひっぱってしまって、

おちんちんの先が裂肛してきてしまい痛そうです。

 

痰が多くて、自宅にいるときは通常1時間おき。

ひどい時は数分で吸痰しています。

 

退院前はうまくできるか心配でしたが、

吸痰はやっていればなんとかできるようになるものですね。

 

昨年8月から11月までの入院

 

昨年8月に痙攣発作をを起こして救急車で運ばれ入院。

 

脳外を退院する際には、

リハビリ病院を紹介されて転院しました。

 

転院した自称リハビリ病院がひどかった!

あれは病院とは言えません!

 

墓場と言い換えて語幣はないかと思います。

 

病院とは呼べないひどいところ

 

転院をして3日くらいから、

呼吸をするときに嫌な音がするようになりました。

 

いくら尋ねても看護師からは、

「どうしてでしょうね?」

という答えしかかえってきませんでした。

 

「市民病院の呼吸器科で診てもらいたんですけど。」

と言うと、

「先生から直接お話を聞いてください。」

と言われて、指定の時間に部屋で待っていましたが、

先生に会うことはできませんでした。

 

1週間したところで、ケアマネさんに、

「こんなひどいところに居させたくないから、

すぐに退院させたいです。」

と伝え、受け入れ準備をお願いしました。

 

でも、ケアマネさんもそれほど私の気持ちが切迫しているとは思ってもいなかったのでしょう。

 

1週間後に一度病院に行って様子見ますから。

という対応。

 

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まったく動けない父を前に、

リクライニングのベッドやら、

痰の吸入器やら、吸入の練習やら、

・・・

準備なしでは、とても退院はさせられない状況でした。

 

転院から12日目に肺炎に

 

ところが、それから1週間などという余裕は結局なかったのです。

転院から12日目の土曜日、父が発熱してぐったりしてしまったのです。

 

その頃、私は1日2回、父のお見舞いに行っていました。

1度めは昼過ぎに少しでもお散歩やリハビリなどをさせるため。

2度めは夕方、母を連れて。

 

昼のお見舞いの時にも、なんだかぐったりしているし

傾眠状態でおかしいな・・・。

と思っていました。

 

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そして、夕方行ったときに熱があることがわかりました。

 

「熱があります。アイスノンをお願いします。」

 

私はナースコールをして、アイスノンを要求しました。

看護士は熱があることすら把握していませんでした。

 

しかも父はぐったりしている・・・。

 

「すぐに市民病院に転院させたいので、救急車を呼んでください。」

と言ったのですが、看護師は

「バイタルに問題ありませんから。」

とまったく取り合ってくれません。

 

私は自分で消防署に電話をしました。

 

すると、消防署の方が、

「看護師さんに変わってもらえますか。」

と言われるので、電話を看護士に変わると、看護師は、

「いえ、バイタルは安定していますから。

はい、だいじょうぶです。」

 

と救急車を断ってしまったのです!

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これは介護タクシーを呼ぶしかない!

と思いました。

 

とにかく父は動けないのです。

身体を起こすこともできない!

 

軽くなったとはいえ、身長170cmの父の体を移動させるのは無理でした。

 

看護士と医師の謝罪

 

「それなら、タクシーを呼びます。」

私は言って、荷物をまとめ始めました。

 

看護士は、やっとあわてた様子で、

熱をはかったり、アイスノンを入れたり、体の向きをかえたり・・・。

 

医師もあらわれました。

 

「こんなになるまでほっておくなんて。」

という非難に対して、看護師と医師はやっと謝罪しました。

 

私はすべてのやり取りを録音してあります。

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再度、救急車を呼び、父を市民病院に転院させることができました。

 

その時、医師は、

「もし市民病院に行って入院の適応でなかった場合は、こちらには戻れませんから。」

と脅しのように言ったことも忘れません。

 

父は肺炎で危篤状態

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市民病院に到着した父は即入院。

ひどい肺炎で、その後、父は生死の境をさまようことになります。

 

その後約4週間、死ぬか生きるかの肺炎との闘うことになるのです。

 

助かったのは奇跡かと思われるほど、危ない状態が何日も続きました。

 

医師からは、

「会わせたい人がいたら、今のうちに呼んでください。」

と言われました。

 

肺炎の原因はリハビリ病院の看護師の怠慢によるもの

 

呼吸するときの異音は、

墓場のような病院で、吸痰をしてもらえてなかったためとわかりました。

 

市民病院に転院し、痰の吸引をこまめにしてもらえるようになって、

翌日には嫌な音も消えたのです。

 

痰をとることさえ面倒がる病院だったため、肺炎になってしまったのです。

 

あんな病院に入院なんてさせなければ良かった!

怒りと恨みでいっぱいです。

 

市民病院での手厚い治療と看護に感謝

医師から「だめかもしれない。」とまで言われた父の肺炎でしたが、

体力に底力があったのでしょう。

 

父は、重篤な肺炎を乗り切りました。

 

それにつけても、丁寧な診察をしてくださった若い医師と、

ハイレベルな看護技術を持った市民病院の手厚い看護に心から感謝の思いでいっぱいです。

 

急性期の病院の治療は、ほんとうにありがたいものです。

 

退院後は自宅を希望

 

そして、退院後は次の病院を考えるように言われましたが、

私はあくまでも自宅に戻るとお伝えしました。

 

もし、また別の病院に転院したら、完全な寝たきり状態!

 

1週間に2回、20分ずつのリハビリの時間以外は寝たきりになるのだそうです。

 

それでは、死が訪れるのを待つようなもの。

どんどん衰えて、数か月の命で終わってしまいそうなのが目に見えていました。

 

それに、前回、ひどい病院に入れたがために、こんなことになったのです。

 

自宅に戻って、ばんばんリハビリさせて、

また歩けるようになって、

胃ろうでなくてご飯も食べられるようにしてみせる!

 

日本の病院は、寝たきり老人をつくってしまうシステムで、

多くの医療関係者なども憂えているところですね。

 

日本ほど寝たきり老人の数が多い国はないそうです。

 

その実態を目の当たりして、

自分がもっと歳を重ねて入院させられることがあったら、

それは死を意味すると覚悟を決めたほうが良い!

と思うようになりました。

 

これは誇張でなく、真剣に思います。

その時になったら、私は抗わず死を覚悟して受け入れようと思っています。

 

昨日は父の誕生日

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今は自宅で父を介護する毎日。

昨日は、父の86回目の誕生日でした。

 

デーサービスでもお誕生日のお祝いをしていただき、

父はとってもごきげんで帰宅しました。

「あと30年生きる。」

と言っています。

 

自宅にいるから、デーサービスにも行ける。

転院していたら、毎日、毎日、天井を眺めるだけの日々になっていたはずです。

 

おかげで父は、最近、とても生き生きしてきました。

 

ほんとうにゆっくりのペースですが動きも良くなっています。

 

でも、あのリハビリ病院に入る前、父は歩くこともできたのです。

あの病院のせいで重い肺炎になり、4週間も寝込んで、

まったく歩くことさえできなくなってしまったのです。

 

ほんとうにひどい病院!

 

実は周りの方から、

「あの病院に入ると、みんな亡くなっちゃうよ。」

と言われてはいたのですが・・・。

 

その実情がわかりました。

確かに、あんな病院にいたら殺されてしまいます。

 

父とまた一緒に旅行に行きたい!

 

自宅に戻れてほんとに良かった!

 

今は父から私の幼かった頃の話をたくさん聞くのが楽しみ!

 

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「蝶よ花よと育てたんだよ。」

と父は私に言ってくれます。

 

どうやって愛情をかけてくれていたのか、

そういう話をいっぱい聞きたい。

そして、幸せな気持ちを共有したい。

 

毎日、そんな思いで父のお世話をしています。

 

もっと、もっと動けるようになって、

旅行にでも行けるようになれば、これほどうれしいことはないなって。

 

先立つものがない悲しさ

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父は遅遅として回復してきたのだけど・・・。

経済的には苦しくなってしまいました。

 

一緒に旅行にでも行きたいけれど、

今現在、とてもそんな余裕はありません。

 

そこで見つけた稼ぐための動画。

 

そこで教えてくださる膨大な方法の中に、こんなやり方があるそうです。

 

このはてなブログだけをやりこんで、

毎月数十万の収益をあげることに成功されている主婦ブロガーさんもいらっしゃるのだそうです。

 

すごいことですね。

その手法、無料動画でも披露してくださるらしいので、

ぜひ、あなたも御覧になってみてください。

 

私もその部分の配信を楽しみにしているところです。 

→ 石田塾無料公開R2

 

その他

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などなど、核心をついた具体的手法を教えてくださるそうです。

 

長くなってしまいました。

日本の老人医療や寝たきり病院については、

別の記事で、さらに詳しく書いてみたいと思います。